北会津村誌 -228/534page

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鷺林八王子神社
鷺林八王子神社

2、八王寺神社と西福寺由来 寛文五年と貞享二年の書上げには共に八王寺権現とみえている。文化六年の風土記には既に八王寺神杜とあるから、早く神仏を分離して、神社になっているらしい。延宝三年(一六七五)勧請の棟札がある。表中央に「勧請八王子宝神 鷺林」その右に「伊勢 陸奥国会津」左に「福神在座」とあり、裏には「延宝三乙卯三月吉日」とある。延宝三年は大饑饉のあった年であるから、修験が八王子権現を勧請して祈願したのが起りではないかと思う。この棟札をみると、大神宮と福徳大明神は最初から相殿になっていたらしい。
 菩提所は真言宗延命山西福寺で、何時の頃か地頭荒川大炊助某が草創し、宥興という僧が住んだと文化六年の風土記に見え、さらに宥宝という僧が慶長二年(一五九七)頃住んだともある。六〇年程前に火災にあってからは、地蔵尊の小さいのを安置してあるのみである。しかしこの火災に過去帳の一部が搬出された、元禄頃の記入したものが残っている。
 寛文五年に家数四五軒とあり、相当大きな部落であった。文化六年の風土記には三九軒、明治八年には三二戸と漸減したが、現在も中州上に大きな部落をつくっている。
付 寛文五年書上げ
 鷺林村
一、若松の西北九里に有、南北二町十四間、東西一町十七間、家居乱にして図何れの形とも難記、当所の謂、邑建の始其年号不詳。

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