北会津村誌 -230/534page

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一、真言宗延命山西福寺。
 原
一、河原 村の東北一町十二間にあり、東西一町二十間、南北五十七間、草を刈に便よし。
一、ましこ河原 村の東北七町五十九間に有、東西四十二間、南北四十間、草を刈に便よし。
一、廟所河原 村の西五十四間にあり、東西二十八間、南北十二間、梅の木、柳あり。
一、河原 村の東北五町三十五間にあり、東西二十三間、南北十五間、草を刈に便よし。
一、中河原 村の西二町四十間にあり、東西一町三間、南北四十四間、草を刈に便よし。
一、河原 村の西二町四十間に有、東西一町三間、南北四十二間、やしないの草を取る。
一、台の上河原 村の西北二町四十間にあり、方二十間、草を刈に便よし。
一、宮地河原 村の西北八町十六間にあり、南北一町十二間、東西二十間、草を刈に便よし。
一、北河原 村の西六十間にあり、南北六十間、東西二十三間。
一、経塚河原 村の西南一町三間にあり、南北三十七間、東西十八間、槻木株あり。
一、りゃうげ河原 村の西一町十二間にあり、東西二十四間、南北五間杉一株あり、草を刈に便よし。
一、こまい河原 村の東五十三間にあり、東西十八間、南北十間、草を刈に便よし。
 右の原に薬草有、柴胡、苦参、兎絲子、茜根、車前草、山茨菰、天門冬、麦門冬。
 沼
一、百騎沼と云て村の北一里一町五十九間に有、彼沼古大きなりといえども、今わずかに周り六十間、伝て云、昔石川乱の時武者百騎同郡本多村の北一ぱい館に籠る。ある月の夜に乗り出し、此沼面のしろきを花さく蕎麦畠と見損て、一同に馬を乗込て死す。中頃鎧、草摺のくちたるを取出すと云う。

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