北会津村誌 -255/534page

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はなお享和元年(一八〇一)の飯豊山供養塔、安政元年の湯殿山供養塔、享和二年、安永八年(一七七九)にそれぞれ建立した廿三夜供養碑などもみえ、さらに東泉寺境内にも、文字は明らかに読めないが、高さ一・四〇および一・二九メートルの石英粗面岩の大供養碑らしいのがあり、昔の盛時の面影を語っているかのようである。
付 寛文五年書上げ
 荒田村
一、若松の西北十里に有、東西一町四十間、南北一町五間、家居乱にして何れの形とも難記、当村建始の年号並名荒田村の由来不知。
一、家三十四軒、竈三十七、男百三人、女八十一人、馬二十一疋年々増減あり。
一、田十七町六反二畝十三歩、内二町一反土色黒真土、四町一反五畝二十二歩土色白くて砂交、十一町三反六畝二十一歩土色赤くて砂交、土色並して赤し、但一分黒二分白七分赤、四町八反九畝十三歩中の上、二町九反四畝中の中、二町三反九畝歩中の下、四町下の上、三町四反下の下、土位並して中の下。
一、畠六町八反九畝四歩、内一町一反九畝土色黒真土、五町七反四歩土色白くして砂交、土色並して白し、但二分黒八分白、七反五畝歩上の中、一町五反中の上、六反四畝中の下、一町五反下の上、二町五反四歩下の下、土の色並して中の下。
一、早稲少、中稲宜、晩稲、糯稲、大麦、小麦、大豆、蕎麦、稗、稠菜、大根、麻。
一、高二百八十五石七斗四升三合、内本田二百五十二石五斗九升、新田三十三石一斗五升三合、此取百九十七石一斗五升、免六つ八粉九厘九毛五払六味、年々増減あり。
 年貢
一、金三十二両二分と銀九匁八粉、米九十八石五斗七升五合、内大豆八石九斗、荏五斗八升共に年々増減有。
 小役

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