北会津村誌 -286/534page
一、下荒井村蓮華寺旧跡 村の北二町五十四間に有、南北八間、東西六間、此地に昔三鈷の松有、村民伝て云五月女不浄衣を松に かく故に塙と云。岡処より一根三茎二葉の松をのっから生す。蓮華寺の開基に載之、蟹川村は元下荒井村の内也。
原
一、小出河原 村の西三町六十一間にあり、南北一町三十間、東西六十二間、草を刈に便よし。下荒井村と入合。
一、北河原 村の東北一町にあり、南北一町三十七間、東西一町七間、草を刈に便よし、下荒井村と入合。
一、川崎河原 村の東北二町七間に有、南北五町三十五間、東西一町五間、草を刈に便よし、柳あり、雲雀任す、下荒井村と入合。
一、けなし河原 村の北一里一町に有、南北三町五十一間、東西三十五間、草を刈に便よし、下荒井村と入合。 右の原に薬草有、兎糸子、車前草、活簍、五加、枸杷、羊附来、忍冬、山茨菰、壻p、紫胡、苦参。
川
一、大川 村の東三町一間に有、河幅四町四十八間、川幅時に随て広狭有、此川此にて蟹川と云、四月中旬より鱒上る故に古より とあみを打つ、とめとほ乱□を打て細木を横たえ、河上より竹ずをあてて上る鱒をとむるによって鱒とめと云。とめの下に万一 間の棚をかき、猟師此に上て四手綱をおろし魚をとる古或は流網を引、或はいくり船を乗り、叉さて網を引ても魚を取、三、四 月の比鮑多く、瀬下の砂石に集て子を産、これをつき魚と云、かちか、はち魚あり、春秋は此川も又船を設る。 一、米五斗一升を出し、逆瀬川山に入て薪を伐る。
一、檜目村・大石目村、簗田村・西原村・上海津村、蕎麦目村、出戸田沢村.沢田村、宮袋新田村、水嶋村、矢野目村、金沢村、 樋渡村・米沢村.台村.出尻村.悪津村、沖中田村.小沢村、新屋舗新田村、荒田村、和泉村、立行事村、新屋舗村、泉新田村 十二所新田村・田村山村、中里村.真渡村、石原村・本多村、宮下村、根岸中田村.逆瀬川村、館村、入田沢村、下荒井村、礫宮村より銭十四貫七百五十五文を取て船に果する。貞享二年書上げより