北会津村誌 -287/534page

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   会津郡蟹川村 端郷 小出二丁五十間隔、本村の西に有、川崎二丁隔、本村の北有、往古は上川崎、下川崎之二所に有、 今は在所川に成、此所に移一ケ所に催す、若松より七里。

一、元来下荒井村端郷、二十七年以前に別村に成。
一、鎮守、端郷小出に富士権現、祭礼九月九日 下荒井社家祭。
相殿 一、稲荷三 伊勢、山王、御嶽、熊野、当村より引社、一、磐梯 礫宮村より引宮、一、鬼渡、端郷川崎より引宮。
一、菩提所、半村小出真言宗荒伝山宝光院、高二石六斗壱合、御年貢井。
一、漆役木数廿四本分有、蝋漆上納而不足の分代金に而上納。
一、軽井沢山へ入来儀、当村船賃に野手不出、かくま、柴を刈。
一、同村端郷市野へ馬壱疋に秋米二斗宛年々出、柴を刈。
一、逆瀬川へ御年貢米三斗、端郷小出より壱斗八升年々出 柴を刈。
一、逆瀬川へ端郷川崎より銭七百匁出、かくまを取。
一、大川舟渡 古来より蟹川端村上川崎にて舟渡来、小出、下川崎は古来不構、此舟打舟二つ結合、一般にして往来す。舟破損の時 分入用金三、四両拝借す、市野戸村へ誂打す。新舟始て乗物有時は、代壱メ文、五百匁、三百匁も出し祭る。是は菩提の為と云、新舟 入用舟下より出、拝借金上納す。往行の舟賃壱人に四文、洪水之節は八分、立帰し者帰舟後不取、冬橋も掛る、定舟下の郷下荒井、 本多、十二所、宮袋新田、檜目、米沢、根岸中田、逆瀬川、沖中田、安久津、立行事、大石目、西原、小沢、出戸田沢、入田沢 日渡、蕎麦目、沢田、新屋敷、同新田、和泉、同新田、染田、台、出尻、宮下、館、田村山、石原、中里、荒田、真渡、礫宮な ど三十五ケ村より金壱両壱分と、銭十二メ百八十匁取、大川舟橋渡す、外大野、同新田、伊勢花、境野、勝方、牛沢、大江、大 村、水嶋、星野目、上金沢、下金沢、田中金沢、上茅津、中茅津、二日町、今泉、鷺林、寺堀、宮袋、メ二十ケ村、是は不時往 行の為、残二メ三百匁収舟を渡す。亦冬橋道かける。橋入用の簣子木橋下より出す。御公儀御材木被下置、年々入用の人足橋下


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