北会津村誌 -292/534page

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   会津都礫宮村  七里
一、鏡守磐梯大明神小出へ相殿、祭礼九月十九日、荒井社家祭。
一、菩提所中里徳書院へ参拝す、足寄進なし。
一、漆役木数六十壱本分代金に而上納。
一、大野村へ代五十匁宛年々出、柴、萱、雑木、ばへきり、草刈。
一、同村へ代百七十匁・山守給と而出、是は山留料金出来所、八年以前申年累年に替、大分に割掛申に付、成間敷旨山本へ断候へ とも、例法不被背・翌冬より惣山下の郷村、相談の上、山守給金四両出筈に相究、当村より彼山への来馬数に割出の代出す。
一、蟹川へ舟賃五十匁宛出大川舟橋を渡し
一、家職 草鞋、かます、田島稼の間仕出す。
一、畑作大豆、蕎麦、莢服、商売而御年貢の足にす。

文化六年風土記より
    礫  宮  村
 昔、磐梯山の方より・円右二飛来て此他に限つ。明神の擲ち給う礫なりとて.社を建てて尊崇す。村名これに困れりと云。府城の西に当り・行程一里六町、家数五軒、東西三十間、南北一町二十間、東は鶴沼川に傍ひ三方田圃なり。東二町二十五間、蟹川村の界に至る。其村は巳に当り十六町三十間余、西一町二間、南三十一間、共に下荒井村の界に至る。其村は未申に当り十町二十間余、北五十八間、真渡村の界に至る、其村まで三町十間余。

    真渡村および鈴淵村
一、五霊神社縁起 村の伝承によると、前九年の役に(永承六年−一〇五一)、源頼義が、東夷の安倍頼時を


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