北会津村誌 -305/534page

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中里の稲荷神社
中里の稲荷神社

ある。しかし併せても二三戸の耕作面積としては狭く、古くより、集 約的疏菜栽培の経営がなされていたようにみえる。

付 寛文五年書上げ
   中  里  村
一、若松の西北七里に有、東西一町十五間、南北四十間、家居乱にして図何れの形とも難記、村の建始の年号、名中里村と由来不詳。
一、家二十三軒、竈二十八、男五十八人、女四十五人、馬十疋年々増減有り
一、田七町一反七畝十二歩、内一町一反土色黒く、四町一反五畝土色白くて砂交 一町九反二畝十二歩土色赤くて砂交、土色並して白しし但二分黒三分赤五分白 一町二反中の上、二町六反中の中、二町中の下、一町三反七畝十二歩下の下、 土の位並して中の中。
一、畠八町六反九畝二十五歩半、内一町二反土色赤して砂交、七町四反九畝二十五歩土色自して砂交、土色並して白し。拒二分赤 九分白、一町八反上の下、二町五反五畝二十五歩半中の上、二町中の下、二町三反四畝下の下、土の位並して中の下。
一、早稲少、中稲宜見、晩稲、糯稲少、大麦、小麦、来、稗、黍、蕎麦、大豆、小豆、大角豆、麻、菜、大根、午蒡宜、芋。
一、高百三十石五斗九合、内本田百六石九斗二升七合、新田二十三石五斗八升二合.此取百六石五斗、免八つ一分六厘三払五味、 年々増減あり。
   年    貢
一、金十七向二分銀八匁九粉二厘、米五十三石二斗四升九各、内大豆四石二升、荏二斗六升、共に年々増減あり。
   小    役


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