北会津村誌 -304/534page
しかし文化六年の風土記にみえる「本尊観音客殿に安ず」とあるの は、境内にある三間四面の観音堂のことで、御丈八二センチの、昔会 津高田町の赤留から流れついたという伝承のある子安観音が祭られて いる。村の祭も不動尊とこの観音で行ない、もとは九月九日、現在は 六月十八日を夏びちといって行なっている。
寛文五年の書上げにある大神宮は、昔の村の鎮守神であったという が、現在は小林晃宅が管理して原野に祭ってあるのみで、村西の稲荷 神社を村の鎮守としている。
2、畑地開拓 村の東縁には、大川より分れた一筋の思い堀用水があり、西縁には、村より南の白山清水より の用水があるが、古くからの中州の河原地で、水田開発は容易でなく、古くより俗にさえんばと呼ぶ城下町に補 給する、野菜栽培地の一つの中心をなしていた観がある。
寛文五年の書上げにも、家二三軒に対して田は七町一反に過ぎず、畑の方がほるかに多く八町六反九畝歩余と