北会津村誌 -307/534page
一、前河原 村に続て西南にあり、南北二十五間、東西二十間石原村と入合ふ。
一、新右ヱ門河原 村の東北一町七間にあり、東西六十間、南北二十間、草を刈に便よし。新右ヱ門河原と云謂を不知。 右之原に薬草有、免糸子、茜根、車前草、香需、五加、括姜、山茨菰、天門冬、忍冬、苦参。
一、稲荷の宮 河原村の西北五十間にあり、南北一町七間東西二十二間、草を刈に便よし。石原村と入合。
一、下河原 村の西北一里三十七間に有、南北六十間、東西三十間、草を刈に便よし。石原村と入合。
一、中河原 村の北二二町一間に有、東西四十間、南北二十五間、草を刈に便よし。石原村と入合。
一、平石ヱ門立野河原 村の東北一町三十三間に有、東西二十間、南北十間、村民伝て云ふ、平石ヱ門と云者此河原に柳をたて刈 故に平石ヱ門河原と名く。石原村と入合。
一、狐穴 村の西南三十八間島の中にあり、年により子を産。
一、代官七十文を出し、沼山村、大野村山に入て薪を伐る。貞享二年書上げ
中里村 若松より田舎道九里
一、鏡守 稲荷田村山へ引社に被仰付、祭礼九月九日、宮下社家来祭、村社参道。
一、菩提所 真言宗延命山徳善院、高二石一斗五升二合、御年貢諸役村弁。
一、漆役 十四本分有、蝋漆上納して不足の分代金で上納。
一、村の西北に葭野一ケ所有、此御役銀八粉宛上納、○大野村へ代二百文出、は柴、かくまを取。
一、同村へ山守給金として代三百六十四文斗出、其次第前に有。
一、出戸田沢村半郷沼山へ代官文宛出、ほ柴、かくまを取。
一、蟹川村へ代四百文宛年々出、大川船橋渡○家職、縄、筵、田畠稼の間に出す。