北会津村誌 -321/534page
一、灰塚と云て村の東北三町四十一間にあり、方六間の壇なり、其謂を不知。
川
一、観音の御手洗村の西南二十六間にあり、御手洗水の側に清水あり、慶長年中大守景勝此所に至て鷹狩す。其清水を味て淡と云 ふ、亦来人足を景勝清水と名く、二水合て北に流て西北に行ことわづか五、六歩にして同郡館村の古川と合て、又北に流て姥川 と云ふ。出尻村、台村、和泉村を経て鶴沼川に入る。此川に真鴨、小鴨、鴫時により任す。鮒、脆、小雑喉、小海老あり。
一、村野原に青鷺、五位鷺、雀あり。
一、稲四十束を出し沼山村、大野村山に入て薪をきる。
一、村の北一里一町六十二間に瀧川有、此川稲川領との境也。貞享二年書上げ
会津都田村山
一、若松より田舎道八里。
一、鎮守 住吉大明神、祭礼九月九日、宮下より社家来祭、当所の老社参而遊。
相殿 田村山大明神、十二神、八王神、稲荷、館村諏訪大明神、大神宮、荒神、中里村稲荷大明神二、白山権現、石原村大神。
一、会津三十三所順礼観音堂在、三間四面、萱葺、会日七月十七日、同十六日夕より村中近郷の要共寄合、会津唱、此別当真言宗 当村養泉院、巡礼十二番目と云札を納、歌に千早振神や誠の住吉や重ね重ねの森の七五三縄。
一、菩提所 真言宗養泉院、高二石三斗二升二合、御年貢諸役村中にて亦寄進す。
一、漆役 木数七本分、此代五百三十三文にて毎年上納す。
一、村の西に葭野一ケ所有、此役葭廿把宛年々上納。
一、家職 縄、筵、叺、田畑稼の間に仕出申候。