北会津村誌 -322/534page

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一、大野村へ稲十五束出、かくま、養草を刈取、山守給金と云、代七百六十支出す。其次第は前に有、一、同十五菜、出戸田沢村端 郷、沼山へ年々出、かくま、葉、柴を収、一、蟹川村へ金一分出、大川船橋渡、て四間之家不造、鎮守廻廊四間故、民家に不造由云伝ふ

文化六年の風土記より
    田 村 山 村
 府城の西に当り行程一里二十一町、家数二十七軒、東西一町十七間、南北一町五十間、四方田圃なり。東四町一間、石原村の界 に至る。其村は辰に当り三町、西二十五間、館村の界に至る。其村まで七町三十間、北十一町二間、河沼郡牛沢組上茅津村の界に 至る。其村は亥に当り十四町三十間余、又戊亥の方四町二十間、和泉村の界に至る。其まで七町。
 ○山川 清水、村より二十間余、未申の方にあり、周二十間余、慶長中(一五九六〜一六一四)在任(一五九八〜一六〇こ上 杉景勝此辺に鷹狩し、此水を飲み、其甘冽を賞す。土人因て景勝清水と称す。又其北に産清水と云あり。周六間計二水合して広二 間計の川となる。これを観音の御手洗と云。和泉村の方に注ぎ、祖母川と称う。田地の養水となり、下流宮川に入る。
 ○神社 住吉神社・境内東西十五間、南北十一間半、免除地、村中にあり。草創の時代を知らず。鳥居、幣殴、拝殿あり。宮下 村渡部出羽が司なり。相殿十二座、伊勢宮五座、一座は本村より移し、一座は石原村より移し、一座は館村より移し、二座は中里 村より移せり。稲荷神二座、一座ほ本村より移し、一座は中里村より移せり。八王子神、本村より移せり。十二神、同上。白山神 中里村より移せり。諏訪神、館村より移せり。荒神、同上。
 ○寺院 義泉院、境内東西十四間半、南北二十四間、年貢地。村中にあり。福聚山と号す。真言宗下荒井村蓮華寺の末寺なり。 もと蓮華寺六坊の一にして其境内にあり、天正己丑(十七年−五八九)の兵火にかかり、宵覚と云僧此地に移せりと云。弘法を本 尊とす。客殿に安ず。観音堂境内東西十間、南北八間、免除地。住吉神社の北にあり、創造の年月詳ならず。会津三十三所巡礼 の一なり。養泉院これを司る。
 ○古跡 館跡、村中にあり。東西二十九間、南北五十間、民居となり、字を館内と称う。何人の居りし所なることをしらずと云


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