北会津村誌 -325/534page

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年に新鶴村新屋敷の佐藤が彫って奉納したものである。
村の中央に諏訪神社の堂があるが、これは一時田村山へ引官なったことがある。現在、もとの境内に堂宇を再建 している。館のほぼ中央に当る位置かと思うが、来由は、館の来由と共にわからない。

付 寛文五年書上げ
    舘    村
一、若松の西北九里に有.此館は昔日居家の旧跡なり、館の形鱗かたのことし、周り二町五十二間、其内に里民任す、此に困て館村と名く、其周廻皆堀なり、今谷地となる、末た何人の築くこと不知、館の側に民家有、共に館村と云ふ、家居乱に任す。
一、家十七軒、竈二十三、男五十五人、女四十七人、馬九疋、年々増減あり。
一、四十二町九反五畝四歩、内一町一反五歩、土色白くして砂交、四町二反八畝歩土色薄黒く、六町五反土色野土、土色並して黒、但一分白、九分黒、一町一反五畝中の上、一町八反七畝四歩中の中、三町四反三畝中の下、一二町五反下の中、三町下の下、土の位並して中の下。
一、島一町六反五畝十五歩、内三反十充歩土色黒くして砂交、四反土色白くして砂交、九反五畝土色黒野土、土色並して黒く、但三分白、七分黒く、三反上の下、四反五畝十五歩中の下、九反下の下、土の位並して中の下。
一、早稲少、中稲宜多、晩稲、糯稲少、大麦、小麦、大豆、小豆、菜宜、稗、大根、大角豆、蕎麦。
一、高百五十五石三斗七升五合、内本田百五十一石二斗二升九合、新田四石一斗四升六今此取九十九石七斗一升八合、免六つ四分一厘七毛八払九味、年々増減有。
    年    貢
一、金十六両二分銀一匁六厘、米四十九石八斗五升七合.内大豆四石八斗二升、荏三斗一升共に年々増減あり。
    小    役


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