北会津村誌 -327/534page
一、沢田村、蕎麦目村、小沢村、樋渡村、出戸田沢村、大石目村、染田村、立行事村より代九百三十文を取て船に乗する。
貞享二年書上げ
館 村 若松より田舎道九里
一、鎮守 諏訪大明神、田村山へ引社に被仰付、祭礼七月廿七日宮下社家祭。
一、菩提所 真言宗福聚山観音寺、高一石八斗二合御年貢諸役寄進す。
一、会津三十三所順礼観音堂破壊して、今は寺に安置す。順礼十三番目札納、はるばるとまいりておがむよしみでら、ほとけのちかいあらたなるらん。
一、漆役 木数六本分代五首七文年々納 村東葭野一有、此御役四文三粉二厘。
一、大野村へ稲七束三把年々出、は柴、かくま草を苅。
一、大野村へ山守給として代四百四十七文出、○出戸田沢半郷沼山へ稲七束年々出、は柴、かくま。
一、鶴沼川渡舟有、船賃一貫六古四十文取、船下村々沢田、泉新田、蕎麦目、大石日、梁田、小沢、西原、入田沢、出戸田沢、日渡、立行事、阿久津メ十二ヶ村の外新屋敷、同新田此二ヶ村は舟貸出さす往来す。其謂不明なり。
一、蟹川村へ代二百五十文出、大河舟橋渡。
一、家職 縄、筵 ○山伏一人有。文化六年の風土記より
館 村
昔此他に大なる館あり。其跡に民居を営みし故名けりと云。府城の西に当り行程一里二十四町、家数十五軒、東西一町四十二間 南北四十六間、四方田圃なり。東一町十六間、南一町十三間、共に田村山村の界に至る。其村は寅に当り二町、西二十一間、宮下 村の界に至る。其村は未申に当り三町十間余、南五町五十八間、本多村に界う。又巳の方三町四十八間、荒田村の界に至る。其村