北会津村誌 -328/534page
まで六町。
○寺院 観音寺、境内東西十三間、南北十二間、年貢地。村中にあり。真言宗大町一桂院の末寺なり。山号を福聚山と云。何れ の頃の開基にか詳ならず、天正三年(一五七五)円智と云僧修補を加え、同十六年(一五八八)兵火の為に炎上し、其後再興して 今に至れりと云。本尊弥陀、客殿に安ず。観音堂、境内にあり。此堂も円智が修理せし所にして、兵燹にかかり、其後に再興せし と云り会津三十三所順礼の一なり。二一、 出 尻 村
1、水災と寺跡 蓼川が鶴沼川と合流して氾濫する地域が、村西に せまっている。その東経の低い段丘上が村の位置である。
寛文五年の書上げにみえる、村の西南にあった周り一五〇間ほどの 沼は、その河跡の沼であったと思われる。氾濫原には葦が繁り、「慶 長年中大守氏郷此所に鷹狩す」とあるのは、氏郷の子秀行でないと年 号があわず、文化六年の風土記には、単に昔時といい直してあるが、 田村山の景勝清水と同じく、付近の谷地では鷹狩もできたろうし、渇 を癒するにたる清水も湧出していたであろうことは確かである。
貞享二年の書上げにまで「菩提所曹洞宗日根山心光寺」のあったこ とが記されている。この寺院はその後間もなく河沼郡野沢村藤村に移 されて、文化六年の風土記には、単に寺跡としてある。