北会津村誌 -329/534page
現在村中に地蔵堂があるが、寛保元年 (一七四一)「施主 清右ヱ門」の銘がある、 御丈三八センチの延命地蔵尊が安置してあ る。堂宇の建ったのは明治二十六年陰暦三 月十日の「越後国三島郡寺泊町大工棟梁米 谷馬吉三十二歳 外二名」の棟札がある。
2、戸数の増減 寛文五年(一六六五)
には一三軒とある。心光寺の移転はその後であったから、水災のため村の西縁を削りとられ、戸数も文化六年の 風土記には単に八軒とある。鶴沼川の堤防構築が進み、開田も、寛文五年の五町三反歩より現在の二二町一反歩 へと急増し、畑も二町五反が五町八反となって、現在の戸数は一七戸にまでのびている。付 寛文五年書上げ
出 尻 村
一、若松の西北行程十一里に有、南北一町三十二間、東西三十間、家居乱にして図何れとも難記、村建始の年号並名出尻村と由来不詳。
一、家十三軒、竈十五、男三十九人、女三十四人、馬七疋、年々増減有。
一、田五町三反、内一町三反土色黒くして砂交、三町七反土色白野土・三反土色赤くして砂、二反下の下、土の位並して下の七
一、島二町五反六畝四歩、内四反六畝四歩土色黒くして砂交、二町一反土色赤くして砂交、土色並して赤し、但二分黒、八分赤、二反上の中、三反六畝四歩中の中、一町二反下の下、八皮下の下、土の位並して下の上。