北会津村誌 -331/534page
川と合う。
沼
一、沼は村の西南五十五間に有、周り百十五間、小鮒少有、側に清水涌出る。慶長年中(一五九六〜一六一四、氏郷在任は一元九 〇〜一五九五)太守氏郷此所に至鷹狩す。炎天の砌渇を止、淡しと云ふ。爾来柵を結、寛永年中(一六二四〜一六四三)迄有之 と云ふ。
一、代二百四十文を出し大野村、沼山村山に入て薪を伐る。
一、村野原に有所の鳥、青鷺、むく鳥、雀。貞享二年書上げ
出 尻 村 田舎道十里
一、鎮守 稲荷 宮下へ引宮に被仰付、祭礼八月十五日当所の者宮下へ社参して遊ぶ。
一、菩提所 曹洞宗日根山心光寺、高一石四斗二升八合、諸役村弁寄進す。
一、大野村へ二百十文出す、は柴、かくまを取○同村へ山守給金として二百五十文出す。
一、出戸田沢半郷沼山へ代五十文、は柴、かくまを取○舟役銀として七日二粉八厘、二人前の役銀前泉へ渡。
一、村の西南に葭野一ケ所在、此御役銭八粉四厘上納○蟹川村へ二百五十支出、大河舟橋渡。
一、家職 縄、筵、田畠稼の間に仕出す。文化六年の風土記より
出 尻 村
府城の西に当り行程一里二十四町、家数八軒、東西五十間、南北一町、四方田圃なり。東四十五間館村の界に至る。其村は辰巳 に当り二町余、西三十三間、北五十間、共に台村の界に至る。其村は北に当り一町十間余、南一町、宮下村の界に至る。其村まで