北会津村誌 -475/534page
廿三夜供養 寛政九年 (一七九七) 湯 殿 山 文化十年 (一八一三) 湯 殿 山 文久三年 (一八六三) 五、迷信と禁忌
迷信の打破は古くから呼ばれているが、信仰と紙一重というか、表裏一体のような面があって、これを明確に 裁断することができないで、だらだらに旧習を固執しているものが多いようである。もう現代人はそんなことを 信じているとも思われないのに、「人が悪いというものを、することもないではないか」というように、自分の 信念でなく、世評を苦慮して、打破できないでいる点が多いようにみえる。
「日がよい」とか「日が悪い」などとは、今もよくいわれる。嫁とりによい日は春はつちのえとら、夏はきの えうま、秋はつちのえたつ、冬はきのえねであり、悪い日は正月十六日、二月二十日、三月四日、四月十八日、 五月六日、六月七日、七月十日、八月十一日、九月九日、十月三日、十一月二十五日、十二月晦日、それに庚申 の日はさるは去るにかかり、申の日を嫌う。この中には墓参りとか、年とりの日など、事実適さない日も含んで いるが、支那より古く伝えられた十干十二支が、このように根強く普及しているとは、よくも日本の習俗も中国 文化によく訓練されてきたものであると、今さらのように振りかえってみる。
食物の禁忌はまだ相当多い。鎮守が嫌うからごまやかぼちゃを作らないなどは、さすが野菜栽培地として、脱 出が早かったようである。貞享二年の書上げや風俗帳をみると、鎮守が嫌うからということが各所に記してあ る。村人を護る鎮守様が、村人の幸福を願わない筈はないのにおかしい。恐らくは神に奉仕する人、奉仕する日