北会津村誌 -476/534page

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の潔斎の行事が、日常の生活にも禁忌の形として持ちこまれたのではないかと思われる。

 二日町では鎮守の守神の使者として蟹をとらないし、食わないという。名物の花火は、火の神、水の神として 神に捧げる意味があったかと思うが、昭和二十五年の事故から止めた。このための神の崇りなど考えている村人 はないであろうと思う。十二所では婚礼祝には小豆を使わないそうであるが、十二所権現が嫌いなさるとでもい うのだろうか。今もそれが固執されているとすれば、困ったものであるとも思う。

 鎮守が嫌うから四足の動物、特に牛馬の獣肉を食べないという村は荒田をはじめ、昔は村としても、家として も相当あった。神に対するいけにえに関してできた禁忌であると思われる。これは現代生活にあわないので、古 老はさておいて、若い者からは逐次打開されてきたようである。

 これを見事に、村を挙げて打破した良い例もある。石原では鎮守様が柿の木からすべり落ちて、ごま畑で目を ついたとかで、柿の栽培が禁忌であった。これは薬師如来の信仰として各地に残っていたものであるが、大正十 二年の耕地整理を機会に、下荒井の宝寿院の坊さんを頼んできて、鎮守様のお許しを祈願し、見事に植栽に成功 した。きうり、とうきびなどを作ってならない家も二、三軒あったが、これも近年段々になくなっている。石原 ではこれを記念して秋に毎年柿祭を行なっているというから面白い。

 荒田では、獣の肉を食べないという禁忌が数百年もつづいてきたというが、昭和三十八年神官をよんでお払い をし、村人皆が食べるようになったという。

 何かに因縁をつけて禁忌を行なっている例も多い。「一服茶は飲むな」とか「飯も一杯椀で止めるな」など、 これは仏に供えるのが一服茶、一椀飯であるからという。理論で説けばまことにおかしいことである。「夕茶を 飲むと追い出される」とか、「鍋のつる越しに汁をくむな」といってみたり、その反面、「朝茶に茶柱が立つと


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