西暦紀元 | 日本年暦 | 歴 史 事 項 |
紀元元年前後 | | 弥生文化時代 |
前 八八 | 崇神天皇十年 | 四道将軍が派遣されたと伝える、相津という名がみえる。 |
四〇〇〜七〇〇 | | 古墳時代、田村山古墳はその中末期か。 |
五四〇 | 欽明天皇元年 | 梁の青岩、根岸の里に庵を結ぶ、高寺、塔寺恵隆寺の前身か。 |
五五二 | 欽明天皇十三年 | 日本に仏教伝来、これに五三八年という説もある。 |
〃 | 〃 | 伊佐須美神高田南原に祀る。十五年東原へ、十九年宮社成る。 |
六四六 | 大化 二年 | 大化改新、班田制、条里制布かる。こちらには後れて及ぶ。 |
六五二 | 白雉 三年 | 飯豊山に知通和尚、道を開くと伝う。 |
七〇二 | 大宝 元年 | 相津を会津と改めたという。会津の地名、初めてみえる。 |
七一八 | 養老 二年 | 会津、白河、石背、安積、信夫の五郡をあわせて石背国とする。 |
八〇六 | 大同 元年 | 磐梯山爆裂。 |
八〇七 | 大同 二年 | 徳一、磐梯山麓本寺に恵日寺を建立したと伝える。 |
八〇九 | 大同 四年 | 伊佐須美神社に御正作田供田を定めると伝える。 |
八四三 | 承和 十年 | 九月五日付、伊佐須美神従五位下を授けられる。 |
八五五 | 斉衡 二年 | 五月二十八日付、磐梯神従四位下を授けられる。 |
九二三〜三〇 | 延長 中 | 会津郡を割いて大沼郡をおく、延長二十年頃ともいう。 |