北会津村誌 -514/534page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

九六四 康保 元年 石原村に薬師堂、宝蔵院を釈久光開くと伝える。
九七二 天禄 三年 九月十一日空也上人会津で死し、冬木沢八葉寺に葬ると伝える。
九九三 承暦 四年 十月十九日会津 耶麻両郡を以て会津郡とする。
一〇五一 永承 六年 前九年の役後、鎌倉権五郎と弥三郎、真渡におちると伝う。
一〇五七 天喜 五年 源義家東征の帰途、塔寺八幡宮を移築したという。
一〇九七 承徳 元年 塔寺八幡宮に荒田村の名がみえる。
一一八九 文治 五年 佐原義連会津の守護となる。
真渡輝井の宮、中荒井旗明神、御膳河原などの伝承がある。
一一九〇 建久 元年 橋爪千寿院に薬師寺を創建する。
一二六三 弘長 三年 南青木組の羽黒神社神器に、大会津郡の名がみえる。
一二七五 建治 元年 磐梯山恵日寺の慶有、田植歌を写す。
一二九三 永仁 元年 佐原三代光盛、葦名と改める。
一三一二 正和 二年 下小松、感応神社を恵心、源信が創建。
一三二九 元徳 元年 下荒井に葦名の臣富田三代祐義大沼那西十二ヵ村を賜られて、
築城のその際耶麻郡叶荘より八幡宮を下荒井と下荒田(宮の下)に共に移す。
城の一角に康寧山宝寿禅寺を創建する。
一三三三 元弘 三年 下荒井観音堂の鰐口にこの年号の銘があったと伝える。
正慶 二年 下荒井に飯豊権現草創する。
一三四八 正平 三年 百騎沼の由来を伝える。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県北会津村誌編纂委員会に帰属します。
福島県北会津村誌編纂委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。