九六四 | 康保 元年 | 石原村に薬師堂、宝蔵院を釈久光開くと伝える。 |
九七二 | 天禄 三年 | 九月十一日空也上人会津で死し、冬木沢八葉寺に葬ると伝える。 |
九九三 | 承暦 四年 | 十月十九日会津 耶麻両郡を以て会津郡とする。 |
一〇五一 | 永承 六年 | 前九年の役後、鎌倉権五郎と弥三郎、真渡におちると伝う。 |
一〇五七 | 天喜 五年 | 源義家東征の帰途、塔寺八幡宮を移築したという。 |
一〇九七 | 承徳 元年 | 塔寺八幡宮に荒田村の名がみえる。 |
一一八九 | 文治 五年 | 佐原義連会津の守護となる。 真渡輝井の宮、中荒井旗明神、御膳河原などの伝承がある。 |
一一九〇 | 建久 元年 | 橋爪千寿院に薬師寺を創建する。 |
一二六三 | 弘長 三年 | 南青木組の羽黒神社神器に、大会津郡の名がみえる。 |
一二七五 | 建治 元年 | 磐梯山恵日寺の慶有、田植歌を写す。 |
一二九三 | 永仁 元年 | 佐原三代光盛、葦名と改める。 |
一三一二 | 正和 二年 | 下小松、感応神社を恵心、源信が創建。 |
一三二九 | 元徳 元年 | 下荒井に葦名の臣富田三代祐義大沼那西十二ヵ村を賜られて、 築城のその際耶麻郡叶荘より八幡宮を下荒井と下荒田(宮の下)に共に移す。 城の一角に康寧山宝寿禅寺を創建する。 |
一三三三 | 元弘 三年 | 下荒井観音堂の鰐口にこの年号の銘があったと伝える。 |
〃 | 正慶 二年 | 下荒井に飯豊権現草創する。 |
一三四八 | 正平 三年 | 百騎沼の由来を伝える。 |