北会津村誌 -526/534page

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 あ と が き

 福島県史の民俗篇二冊の責任を果して、ようやくほっとしているところに、永島村長より北会津村誌をまとめてくれ ないかとの話があったのが、昭和四十一年九月十一日である。

 相当な仕事の量であるし、新鶴村の場合とちがって資料を心がけておいたわけではない。「即答は致しかねる」とい っておいたが、親戚、縁故者から口説きおとされて、九月二十一日から二十六日まで、どれくらいの資料があるものか と、若松の私の研究所の書庫から関係する資料をひき出してみた。

 さらに、隣村とはいえ、やはり自分の生れた村でないから、隅々まで知っているわけではないので、十月中旬には、 新鶴村誌や白虎隊物語の印刷をまかせている、丸八印刷所の主人佐藤彦八君をつれ出して、写真を撮りながら、自動車 で一巡してみようとでかけた。このような予備調査を、遠藤一嘉、石堂辰彦、新井田政治、多田辰伊氏等に案内しても らって、何回か帰省の度ごとに、十二月までくりかえした。そしてなんとか引受けてみようかとの腹づもりをつくっ た。

 正式に引受ける発起者の編さん準備委員会を、四十二年の一月十日に開く予定ができたので、この冬の間に、民俗の 基本調査をしておこうと、十二月二十六、七日は石原村の遠藤一嘉宅で、一月六、七日は西麻生の新井田政治、長郷泰 子宅で、つづいて七、八日を中荒井村の千葉薫宅で、何れも親戚の心安い間柄なので、泊めてもらい、村人にも来ても らって、冬の夜の、炬燵での民俗採録を行なった。やがて農繁期になってはできないからである。

 一月十日の編さん準備委員会で、正式に受諾、調査・脱稿から、刊行までの予定などを話合った。編さん委員には私 からも注文があり、改めて第一回の正式な編さん委員会を開いてもらったのが二月六日である。この日の午後には、丁


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