わたしたちのきょう土河東町-095/104page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

西暦 年号 河東町の主なできごと
1884年 明治17年 ○ 福島小学校が閉校する。島・岡田の児童は大田原小学校に通学する。
○ 広田・大田原小学校で裁縫科を設ける。
1885年 18年 ○ 広田村外13か村連合の各村内の小学校および分教場が広田小学校に統合される。
1886年 19年 ○ 強清水常設分教場が廃され、冬期間の分教場となる。
1887年 20年 ○ 広田小学校校舎新築され、開校式を行う。
○ 広田小学校は広田尋常小学校と改める。
1888年 21年 ○ 磐梯山が大爆発する。
1889年 22年 〇 57か所あった集落が日橋村・堂島村の2か所に合ぺいする。
○ 八田分教室新築、法性寺より移転する。
1890年 23年 ○ 広田小学校が日橋小学校と校名を改める。
○ 大田原・谷沢の分教場を統合し、日橋尋常小学校より独立して堂島尋常小学校となる。
1891年 24年 ○ 堂島尋常小学校が教育勅語謄本をいただく。
1892年 25年 ○ 八田分教室は日橋尋常小学校より独立し、日橋第二尋常小学校と改める。強清水分教場は、その分教室となる。
○ 日橋尋常小学校が日橋第一尋常小学校と改める。
1893年 26年 ○ 旧会津藩士遠藤敬止が城郭地を払い下げて旧松平家に寄付する。
1899年 32年 ○ 岩越鉄道が若松まで開通する。広田停留場ができる。
1902年 35年 ○ 台風と冷害により多くの被害を受ける。
1904年 37年 ○ 岩越線若松〜喜多方間開通する。
○ 冬木沢八葉寺阿弥陀堂が国の特別保護建造物に指定される。
1905年 38年 ○ 冷害凶作となり平年の2〜3割の収穫となる。
1908年 41年 ○ 日橋・堂島村からの北海道移民が増える。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は河東町教育委員会に帰属します。
河東町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。