わたしたちのきょう土 磐梯町 -092/116page
1868年(明治元年)には12もあった村が,8年後には4つになり,1889年(明治22年)にはlつにまとまって磐梯村になりました。
磐梯村の人ロがふえて町になったのは,ずっと後の1960年(昭和35年)です。
(4)工業化の基礎(きそ)がつくられたころ
明治のはじめ,日本に伝わった蒸気機関車の鉄道は,人と物を運ぶめざましい手段でした。
会津にも早く鉄道をひきたい,磐梯村にも停車場(駅)をつくってもらいたいと人々は願いました。
1899年(明治32年),ようやく郡山と若松間の鉄道が開通し,磐梯村にも駅ができて,駅の名前は大寺駅と名づけられました。
1912年(明治45年),大寺の近くを流れる日橋川の水を利用して,猪苗代第一発電所のエ事がはじまりました。
このときは,大寺駅からエ事現場まで線路をしいて,たくさんの材料を運びました。
1914年(大正3年),発電所が完成すると,この電カを利用するエ場を建てる計画が進められました。