わたしたちのきょう土 磐梯町 -097/116page
生まれたと伝えられています。
そのころは,奈良に都があって仏教が栄え,大きなお寺のお坊さんは,国の政治に大きなかかわりを持つようになっていました。しかし,そうした時でも,−般の人々の生活は貧しく,水害や冷害などの災害も多く,てんねんとうなどの病気が大発生する年もあったのです。
このような時代に徳一は生まれ,お坊さんになろうとして,奈良にある興福(こうふく)寺の修円(しゅうえん)という立派なお坊さんについて修業し,さらに東大寺で仏教の教えを深く学びました。若い徳一は仏教のきびしいおきてを守り,中国語で書かれた仏教の書物をいっしょうけんめい勉強したのです。
(3)徳−の考えと決意
徳一は勉強するにつれて,仏教で教えていることとまわりのお坊さんたちの生活との間に大きなちがいがあるのに気がつきました。お坊さんの中には,苦しんでいる人たちのために仏教を教えさとすことをしないで,自分の利益(りえき)をはかり,ぜいたくな生活を送っている者もいました。また,貴族(きぞく)や皇族(こうぞく)にとりいって出世しようとするお坊さんもおりました。
徳一は,こんなお坊さんの姿を見るたびに怒りと疑問(ぎもん)を感じるのでした。
ちょうどそのころ,遣唐(けんとう)船(日本から昔の中国に送りつかわされた船)に乗って,最澄(さいちょう)や空海(くうかい)が新しい仏教の書物をもっ