わたしたちのきょう土 磐梯町 -099/116page
天に向ってそそり立つ磐梯山をあおぎ,もやにかすむ会津盆地を見わたした徳一は,この地に寺を建て,仏のカによって山のいかりを静めようとしたのです。そして,信こう心があり,温かく迎え入れてくれた人々のためにも,正しい仏教の教えを広めていこうと決心したのでした。
(4)徳一の生き方
徳一は仏教のおきてをきびしく守り,毎日の生活はとても質素でした。寺もまだ小さく簡単(かんたん)なつくりでした。
徳一は,広く会津を歩き仏教の教えを熱心(ねっしん)に説いてまわりました。物質的に恵まれた都の寺にいて修業(しゅぎょう)をおこたる人よりも,貧しくても農業にはげんで生きる人々に,徳一は人間として強くひかれるものがあったに違いありません。
徳一のうわさを聞いて,各地からたくさんの人が恵日寺に集まってきました。徳一は生き仏のように尊敬(そんけい)され,弟子になる人も大勢ありました。また,寺の建物や仏像などをつくる人もだんだん集まって,湯川村の勝常寺に残っているような特色のある仏像などがつくられていきました。
しかし,徳一は,仏教を深く学び研究することもおろそかにはしませんでした。
「釈迦(しゃか)の教えを正しく伝えているのはなんだろうか。」徳一は,中国の学問の深いお坊さんたちが,あらわした書物を数多く読み,奈良にいたとき学んだ法相宗(ほっそうしゅう)を深く研究しました。