磐椅王国 -011/034page
29.観音屋敷跡(かんのんやしきあと)(堅田・入江村前・牛沼村前)
白鳥浜北側の水田に立地する平安時代前期の集落跡で、−町四方の区画溝や掘立柱建 物跡・竪穴住居跡と共に土師器・須恵器など当時の生活用品も多数発見されています。 建物跡は3間×2間の母屋と2間×2間の倉庫が多く、その柱穴には柱材がそのまま残って いるものもあり、クリ材が多く用いられていました。また土器の表面には「万福・吉集・ 上万・十万・万・鏡」などの字を描いた墨書土器も区画溝より多数出土しています。
土器に書かれた文字30.三城潟家北遺跡(さんじょうがたいえきたいせき)(三ッ和・家北・村前)
翁島小学校北側の水田に立地する平安時代前期の集落跡で、多数の竪穴住居跡や掘立 建物跡が検出されています。出土遺物は土師器・須恵器の他にも東海地方より一般人され た灰釉陶器、北陸・北関東地方の影響を受けた弥生末〜古墳初頭に属す土器の出土があり、 当時他地域との交流が既にあった事が分かります。
耶麻郡の初見
『続日本後記』承和七年(840)三月四日の条
「陸奥国耶麻郡大領外正八位上勲八等、丈部人麿戸一烟、賜姓上毛野陸奥臣」
−古 代−