磐椅王国 -012/034page
−中 世−
31.亀ケ城跡(かめがじょうあと)(古城跡・古城町・茶園・南半坂)
磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏代々 の居城といわれます。猪苗代氏は文治五年(1189)奥州征伐の戦功により会津四郡を賜っ たとされる佐原義連の孫経連を初代とし、葦名氏の同族とされています。しかし古くか ら独立性が強く、葦名氏とは度々争っており、摺上原の戦いでは盛園は伊達側、その子 盛胤は葦名側について戦いました。
また本城は一国一城令の際も破却されず、近世を通じて城代が置かれ、幕末まで会津 藩東の要として残されました。その後戊辰戦争によって建物等は焼失していまいましたが、 明治三十八年(1905)小林助冶・才治父子二代を中心とした町内の有志が、私財を投じて 桜やツツジを植栽し、東屋や観月橋を設けて町民憩の場として整備しました。
現在は町管理の公園となっていますが、土塁や石垣、空堀の一部が残されており、往 時を偲ぶことができます。(町指定史跡)
猪苗代城下絵図32.八手山城跡(はってやまじょうあと)(八幡・根岸・牧山)
白津集落の北東にある山城で、川桁山の 西へ張り出した尾根上に立地しています。 梯郭式の山城で、麓の愛宕神社より峯上の 風神を祭る小示司まで、土塁・空堀によって 大小の郭が形成されています。年代は不明 で『会津古塁記』には建久2年(1191)築城、 亀城と称すとありますが、その形態から南 北朝以降に築かれたものと考えられます。
門跡に残る石垣猪苗代氏系図『耶麻郡誌』
初代・経連−二代・経泰−三代・盛経−四代・盛通−五代・盛泰−六代・時盛−七代・盛親−八代・盛政−九代・盛明−十代・盛光−十一代・盛行−十二代・盛景−十三代・盛國−十四代・盛胤
−中 世−