磐椅王国 -020/034page

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52.観音寺山門(かんのんじさんもん)(川桁・村北)
 入母屋型式の山門で、正面に唐破風をつけた様式を残しており、江戸初期の建立と 推されます。特に欄間の浮き彫りの手法や柱の彫刻などには桃山建築の様式が窺われ ます。

(町指定重要文化財)
観音寺山門

53.小平潟天満宮本殿(こびらかたてんまんぐうほんでん)(中小松・西浜)
 天暦二年(948)旧社地に建てられましたが、天和二年(1682)保科正経によって現在地 に移されました。「流造」で、小規模ながら種々な意匠を浮彫、透彫等の手法を用いて 表現しています。

(町指定重要文化財)
小平潟天満宮本殿

54.楊枝一里塚(ようじいちりづか)(壺楊字・一里塚)
 一里塚とは江戸時代に街道を行き交う人々のために、一里毎 に道の両側に土を盛り、榎などを植えて距離を示す目印とした 塚のことです。この一里塚は磐越自動車道の建設によって廃村 となった楊枝集落から東へ150m入った倉手山の麓にあり、旧 二本松街道の里程上にあります。

(町指定史跡)
楊枝一里塚

55.御上覧場一里塚(ごじょうらんばいちりづか)(長田・長田)
 会津における一里塚(この地方では壇と呼ぶ)は寛文七年(1667 )から造られるようになりました。塚の上に榎を植えたので榎壇と するところもあります。この一里塚は若松から行程五里の旧二 本松街道沿いにあり、不動集落の上方180mに位置しています。

(町指定史跡)
御上覧場一里塚

−近 世−


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