磐椅王国 -022/034page
59.磐椅神社彩色三十六歌仙(いわはしじんじゃさいしきさんじゅうろっかせん)(西峯)
磐椅神社に奉納されている三十六歌仙の額です。三十六歌仙とは平安時代の中期に藤 原公任が『万葉集』以後の歌人36人を選び、数首ずつ歌をあげて選集を編んだものです。 ここに掲げられた額は、猪苗代の人々が奉納したもので、一枚一枚の裏に奉納者の名前 が書かれています。表の絵の作者は、若松の絵師大石義金三郎と明記されていて、この絵 師についての経歴ははっきりしませんが、その画風から江戸時代後期の狩野派に属する 人と思われ、絵の技量は高いものです。60.吾妻山大権現額(あづまさんだいごんげんがく)(若宮・上町)
文政七年(1824)に吾妻山の遙拝所として建てられた銅屋の額で、聖護院宮一品盈 仁親王の御染筆によるものです。その後遙拝所は荒廃したため、現在は酸 川野若宮八幡神社に天狗二面と共に大切に保管されています。
坂上是則「みよしのの山の白雪つもるらし ふるさとさむくなりまさるなり」(古今・巻六)
源 宗千「ときはなる松のみどりも春くれば 今ひとしほの色まさりけり」(古今・巻−)
小野小町「色見えでうつろふ物は世中の 人の心の花にぞ有りける」(古今・巻一五)
在原業平「世中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし」(古今・巻−)61.旧修験榊原家所蔵修験資料(きゅうしゅげんさかきばらけしょうぞうしゅげんしりょう)(八幡・小原)
近世の当地方における修験資料で、仏像・仏画・護摩用具・修験の衣・袈裟・秘法集・ 版木・印類・幣束など225点が指定されています。同家はもともと本山派修験(天台系聖 護院派)にて大蔵山金剛院円通寺と称し、古くは吾妻山を修行の場とし、飯豊山や出羽 三山にも出かけていたといいます。家の奥座敷(祈願道場)には壇が設られ、不動明王を 中心に大日如来(金剛界)・薬師如来・日光・月光などの諸仏を祀り、護摩壇もほぼ完全 に残っていて江戸時代の地域信仰の面影をよくとどめています。−近 世−