喜多方市の文化財 -005/055page
勝福寺観音堂附(つけたり)棟札一枚
観音堂は、桁行き四間、梁間三間の茅葺き・寄せ棟造りの建物である。 内部中央には、本尊である観音菩薩をまつってある桁行き二間、梁間一間 の内陣があり、正面は半蔀戸(しとみど)、後方には張り出しの仏壇が設けてある。内 陣のまわり一間通りは、参拝者がすわって拝む場所である外陣がある。
観音堂の外側は、正面中央が半蔀戸構え、背面の中央間が板戸の片引き となっており、その他は横板壁でおおわれている。
勝福寺の創立については明らかでないが、本尊脇侍の不動明王・毘沙門 天像に弘安2年(1279) の銘があるので、少なくとも、鎌倉時代には 宗教的営みが持たれていたことが想像される。
また、観音堂は、享禄2年(1529) に前身の観音堂が焼失し、その 後永禄元年(1558)に葦名盛興によって再建されたと伝えられている。
勝福寺は、昔、京都から松島へ行く途中この地で亡くなった「勝(すぐれ)の前」 の冥福を祈って建てられたといわれるもので、かつては薬師堂をはじめ堂 社も多かった。現在では観音堂のほか本堂、仁王門、鐘楼、ほうそう神を まつる小さな祠(ほこら)、それに境外の宗像神社があるだけである。また、近く に勝の前の墓と伝えられる無銘の墓石がある。
なお、現在の観音堂は、昭和59年から61年にかけて解体修理が おこなわれ、往時の姿に復元されたものである。
観音堂は、三間堂としては規模が大きく、使用木材も太い。会津地方に は、禅宗様の手法を交えた中世の三間堂が多く残されているが、この堂は、 和様の要素が多く、縦長にした内陣など独特の平面を持ち中世末期の仏堂 としてはすぐれたものと言われている。
所 在 地 関柴町三津井字堂ノ前 勝福寺
指定年月日 昭和57年6月11日