喜多方市の文化財 -028/055page

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供   養   碑

 供養碑は、石造供養塔婆または板碑といわれる。
 形は頭部が三角形で二本の横線、その下に種子(しゅじ)(種字ともい う)造立年月日、建立の趣意などが、厚手の板碑や自然石に刻 まれている。このほか板碑の中には、阿弥陀三尊来迎像や一尊 像をあらわしたものもある。これらは追善供養や信者があらか じめ善徳を施し、死後の極楽往生を願う逆修供養のものが多い。  供養碑は、鎌倉時代末から南北朝の動乱、戦国時代の争乱など と動揺する社会不安のなかで生み出された、中世の人々の心か らの祈願の信仰であって、現在に伝える貴重な文化遺産である。

*豊川町太田の供養碑

 この供養碑は、種子の下にそれをかかえるように蓮華座が刻ま れてあり、鎌倉時代末永仁5年(1297)の供養碑として当地 方ではもっとも古いものである。自然石でできており、高さ85 センチ幅39センチ、厚さ22センチで、種字は「アン」である。

銘文に、
「右 意 趣 者
      三 月
 永 仁 五 年
      十一日
為藤原朝臣也」とある。

所 在 地   豊川町  吉川昌男氏宅
指定年月日  昭和59年7月12日

豊川町太田の供養碑

*豊川町菅井の供養碑

 この供養碑は、碑の中央に「南無妙法蓮華経」と刻まれてあ り、珍しいものといわれ貞治3年(1364)室町時代初期の ものである。これは、日蓮宗徒の造立した題目板碑で、会津地 方唯一のものである。供養碑は、一部破損しているが、高さ66センチ、幅39センチ、厚さ12センチで、首部に一本の横線が入っている。

銘文に、
「        奉為慈
多宝如来  父三十三
         年造立
         考子道妙
南無妙法蓮華経  敬白
         貞治三年

釈迦牟尼仏 八月一日」とある。

指定年月日 昭和59年7月12日

豊川町菅井の供養碑

*関柴町布流高橋家の供養碑

 関柴町布流高橋家にある供養碑は、草行書体で刻まれており、 観応3年(1352)室町時代初期のものである。

銘文に、
「天 聖 無 動
 無 口 住 口
 徂 住 衆 生
 一 念 心 中
 観 応 三 年

関柴町布流高橋家の供養碑


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