喜多方市の文化財 -030/055page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

松野千光寺跡経塚出土品

 慶徳町松野の松野千光寺跡経塚は、僧行基が開いたと伝えら れる千光寺の跡につくられたものである。

 経塚は、寛文10年(1670)偶然に掘り出されたが、この ときは藩主の命令で埋め戻され、その後、昭和9年にまた偶然 に掘り出され、出土品は故二瓶清氏が所蔵していた。しかし、 昭和63年10月、遺族から喜多方市に一括寄付されたもので ある。

 出土品の中に、高さ37.4センチ、24.3センチ角の石櫃 があり、櫃の上面には「大治五年歳次庚戌四月二日癸酉」、 ふたには「大檀越財主平孝家散位源朝臣俊邦縁支同氏」の銘が ある。また、櫃の側面には、寛文10年に埋め戻されたときの経 緯が記されている。

 大治5年は1130年である。

 出土品の中には、他に高さ28.5センチの青銅鋳製経筒、 14.5センチの金銅板製経筒、長さ19センチの唐銅磬、高 さ12.4センチの五鈷鈴2個、独鈷杵 1個、壷6個があり一括市の指定となっ ている。

所 在 地  喜多方市字柳原 郷土民俗館
指定年月日 平成2年3月25日

松野千光寺跡経塚出土品

大般若経 六百巻 附経櫃六合

 関柴町中善寺にある大般若経は、元禄16年(1703)中 善寺の住職となつた栄昶が、元文4年(1739)〜寛延4年 (1751) にかけて、関柴町萱場の草庵で書き写したもので ある。

 栄昶は、それまですたれていた中善寺の住職となって再興を 成しとげた人で、人々からは木食上人として敬われた。

 大般若経は、栄昶の直筆によるもので歴史上価値の高いもの である。ただし、弟子たちの筆によるものも数十巻含まれてい る。また、欠本も12巻ある。なお、経櫃6箱も同時代のもの であり、文化財として価値の高いものである。

所 在 地  関柴町関柴字赤坂後   中善寺
指定年月日 昭和62年4月9日

大般若経 六百巻 附経櫃六合


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は喜多方市教育委員会に帰属します。
喜多方市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。