わたしたちのまち喜多方-116/125page

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当時の人々は,どんな願いを持っていたのたろうか。
人々の願い
むかし,喜多方は水がふ足しがちでした。日でりが続くと,特に農家では飲み水だけでなく,米や野菜の水が足りなくなり,食べ物も取れず大変こまっていました。
大塩川や姥堂川など大きな川も近くにありましたが,土地の高さの関係でその水をじょうずに使うことができませんでした。
当時の雄国地区は,ほとんどが森林で,それは物を作る時の大切なしけんでしたが,土地はやせており,米や野菜を作るのにはあまりてきしておらず,家もまばらでした。
「水を引いて土地を豊かにし,水田を作って作物をたくさん収かくしたい。」と人々は,長い間強く願っていました。
〈日でりが続いて作物がとれない〉
農家の人の気持ちを考えてふき出しに書いてみましょう。
人々の願い

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