ぼくたち、わたしたちのあつしおかのう-077/100page
5 郷土をひらく
1.ゆたかなくらしをもとめて
(1)赤崎林地区の開たく
太平洋戦争が終わったころの日本は,食べ物がたりなくて人びとは大変こまりました。国では食りょう不足をなくそうとはじめた開たくの仕事により,熱塩加納村では今の赤崎林地区が開たくされました。開たくをはじめたころの赤崎林地区は,赤松がしげっていました。山林を切り開いて木の根っこをほり,石ころが多い上に,強い酸性の土で,作物を育てるのにあまりよくなく,水の便も悪くて,たいへん苦労しました。昭和45年には,国や県の協力によって水田の開発工事が進められ,約15ヘクタールの水田が完成し,地下水をくみ上げて水稲を栽培しました。現在では土地の改良も進み,水の便も良くなって,米のほか果樹園や葉たばこの栽培にも力を入れています。
現在の赤崎林地区