ぼくたち、わたしたちのあつしおかのう-078/100page
(2)日中ダム
1)用水路(堰)〜日中ダムが完成する前まで〜
米づくりをするところには必ず用水路(堰)があって,米づくりにひつような農業用水のほか,防火用水や洗いもの,そして飲み水にも使っていました。日中ダムが完成する前までは,野辺沢川,押切川や濁川などの上流から長い水路をつくって引き入れていました。おもな堰の1つに八ヶ村堰があります。野辺沢川からこの堰は引かれていて,今の新村方面から針生の山をほってつくられたものです。上流より金屋,針生,上野,田中,五目,根岸,下谷地,鷲田の8つの地区の水田をうるおしました。岩尾や半在家地区の水田は濁川から引いた,半在家堰(今の半在家頭首工より下流にあった)と五分一堰とを利用しています。これらの堰は,昔の人たちが人の力だけで,長い年月をかけてつくりあげたものです。また,堰によって水を引くことができないところでは,雪どけ水や雨水,谷川の水を引いて農業用水に使っていました。
八ヶ村堰
五分一堰
半在家堰