ぼくたち、わたしたちのあつしおかのう-082/100page

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2.郷土のために尽した人びと
○一生を人のため,世のために尽した人〔瓜生岩子〕
江戸時代も終わりに近いころ(1829年),瓜生岩子は示現寺の前にあった母親の実家(生まれた家)の山形屋で生まれました。その後,9才になるまで小田付村(現在喜多方市になっている)で成長しました。父が急病で亡くなり,家も火事になって燃えてしまい,岩子は母といっしょに山形屋へひきとられました。示現寺のお
坊さんからは,「自分の命を大切にし,ひとの命も大切に」ということを教えられました。
14才になると,若松のおばさんの家で礼儀作法,学問,さいほうの勉強をしました。その後,結婚して4人の子どもの母親になり,各家庭をまわってあきないをする呉服商としてがんばりました。しかし,若くして主人を病気で亡くし,母親も亡くなって岩子は生きる気力をなくしてしまいました。33才頃のことでした。そこで,岩子は示現寺のお坊さんに相談をしました。お坊さんから「お前のこれからのすべてをもっと不幸な人にささげるのだ。お前は他人の喜びを自分の喜びにできる人間だ。」と強く教えられました。岩子は,人につくすことに生きがいを見つけ,以前にも増していっしょうけんめいに働き,人のため,世のために努力するようになりました。1868年の会津藩の戦争(戊辰戦争)では,若松の町々に官軍が攻
郷土のために尽した人びと

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