目で見る 熱塩加納村の文化財 -042/144page

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文化史編

一、先史時代

(一) 旧石器時代のあらまし

 土器を伴なわず石を材料にして利器をつくり使用した時代で、人類文化の発展段階の最も古い時代である。普通無土器時代・あるいは先土器時代ともいい、旧石器、中石器、新石器にわけられ、さらに旧石器時代を前・中・後期に区分しており、約一万年以前より二〇〇万年前に至る長い時代である。地質学では洪積世【こうせきせい】にあたる。

 旧石器時代はすべて打製石器を使用しており、中石器時代ごろになると細石器や磨製石器が出現し、弓矢の発明、土器の製作がはじまる。生活は狩猟【しゅりょう】、漁労【ぎょろう】であった。新石器時代になると地質学では沖積世【ちゅうせきせい】に属し、動植物相も現代とほとんど同じようになってくる。

 日本では無土器時代、縄文時代、そして弥生時代まで石器を使用している。

 福島県では昭和四十六・五十七年の塩坪遺跡(高郷村)の学術調査により、今から一万年以前の遺物が出土している。その後各地より旧石器時代の遺跡が確認されており、本村では加納鉱山跡の丸山遺跡があてはまるようであるが、なお検討を要する。

(二) 縄文時代のあらまし

 今から一万年前ごろ日本列島が大陸から分かれたことは前にも述べたが、そこに南から、西から、北から渡来した人類は一つの日本民族を形成し、表面に縄目の文様のある最古の土器をつくりだした。この土器文化の時代を縄文文化時代といい、他説もあるが一万年前後もつづいたといわれている。

 縄文時代人はこの種の土器を使い、狩や漁や採集の生活をしていた。この長い時代を六つに区分し、草創・早・前・中・後・晩期としている。全国的にみて遺跡数は数多く、県内でも三〇〇〇か所以上も確認されている。


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