わたしたちのまち 塩川 -090/108page
V 郷土をひらく
1. ゆたかなくらしをもとめて
(1)舟運(しょううん)で栄(さか)えた塩川町
今からおよそ370年ほど前の江戸時代に、川ー阿賀(あが )川)を利(り)用して荷物を運ぶことが考えられました。それまでは道路を使って荷物が運ばれていましたが、品物がいたんだり、多くのお金がかかったりすることから、舟で何物を運ぶ」とが考えられました。
とてもむずかしい場所もありましたが、西れき1680年代になってようやく塩川と津川(つがわ)ー新(にい)がた県ーの間が舟(ふね)で通れるようになりました。ここを利(り)用して、米や会津の特産物(とくさんぶつ)ー麻(あさ)糸・たばこ・ぬり物などーが大阪方面(おおさかほうめん)へ運ばれ、また、大坂からは塩や綿(わた)・反物(たんもの )・瀬戸物(せともの)・大(だい)豆・茶などが運ばれてきました。西(せい)れき1600年の終わりごろから1700年の半(なか)ば(今から250年ほど前)ごろ―番多く運ばれ、塩川もこのころ大変(たいへん)栄(さか)えました。