高郷の地質と化石 会津化石研究グループ -055/066page

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をめざしての福島県立博物館の展示計画が、地元の調査研究などは、押しのけての優先(ゆうせん)させな ければならない発想が、まず第一にあったのです。それに、中・高校の教師や一般人で、研究の質がたもたれるかという危倶感(きぐかん)も手伝ったのかも知れません。なにはおいても、すぐに、会津化石研のメンバーは、地元教育委員会と話し合いをもち、私たちは、調査依頼された直後に断(こと)わられた理由の真偽(しんぎ)と地方の文化財のあり方に関して「村の文化的遺産は地元が主体的に保護し、地元住民にもわかる調査をする必要がある」と地元主義(じもとしゅぎ)の発掘(はっくつ)方針をねばり強く訴えます。グループには学問のレベルが高い研究者もいることや、他に研究をたのむと化石は地元にもどらないこともある。それに、工事破壊(はかい)による緊急(きんきゅう)調査であることをあげ数時間の話し合いをしましたが結論は翌日(よくじつ)にまわされます。翌日、教育長さんより、グループの熱意に押されたことで、「独自の判断で2日間の発掘を許可する」の回答(かいとう)をえます。この許可の背後(はいご)には、発掘の出土品が発掘した中央の大学や博物館に持ち去られ、現地には何一つ残らないばかりか、どんな研究成果があったかさえもわかることができなかった事への憤(いきどお)りが影響していたのかも知れません。私たちが、「地元主義」のやり方で発掘をすすめるようにと、大胆(だいたん)に提案できたのは、高郷村数育委員会から調査依頼をうけた時点で、地元の中学、高校教師や一般愛好者それに野尻湖友(のじりことも)の会(かい)の会員(哺乳類専門(ほにゅうるいせんもん)グループの一部の研究者)とともに「会津化石研究グループ」を結成することができたためです。調査活動の眼目に、1.化石は記載分類(きさいぶんるい)のうえ報告する。2.普及活動(ふきゅうかつどう)を通して地元の理解を深めながら調査研究する。3.化石は私物化(しぶつか)せず地元に置くための保管室をつくろう、の方針は、これからの発掘に大いに役立つことになります。

 11月30日、発掘は地元の石屋さん、工事現場の大型ショベルカーの協力をえて無事終了することができました。雪の降っている間に、この化石のクリーニング(岩石に入っている化石をとりだすために不要な砂や泥をとり除(のぞ)く作業)を続け数ヶ月後、見事な姿を現わした肩甲骨(けんこうこつ)は、検討した結果わが国最古のオオカイギュウで数少ない貴重な化石であると判明したのです。このことを地教委に知らせ、化石の価値の重要さを伝える一方、その後も阿賀川河床から続々と見つかっている関連する化 石が浸食のために流失(りゅうしつ)する恐れもあるので、「発掘を、地元のため地元が主体となってさらに 続けよう。」と要請(ようせい)する。同時に、成果の一部を学会に発表する。勿論(もちろん)、地教委は発掘に同意しました。こうなったのも、発見者や地元の人たちが中心となって、研究に取り組むべきだと

アイヅタカサトカイギュウの肩の骨化石の発掘のようす
アイヅタカサトカイギュウの肩の骨化石の発掘のようす


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