高郷の地質と化石 会津化石研究グループ -057/066page

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「民友新聞」昭和57年7月4日(日)
「民友新聞」昭和57年7月4日(日)

              

日に報道します。この記事は、会津化石研グループの活動を誠実に紹介しながら、村ぐるみ保存の動き活発と報じ、大きな反響をおこし、「貴重な化石産地の高郷村」のイメージをつくりあげてくれました。地元でも、このような会津化石研の地元主義・自前精神の活動をしだいに理解し支援してくれるようになり、地教委も、公民館をパイプ役として私らとともに化石発掘に当たりはじめました。当然のこととして、地元でも、「郷土の文化財はわが村に」の声とともに文化財保護の機運(きうん)も盛(も)り上がり、とうとう「荻野層・漆窪層及び塩坪層に含有する化石類産地」として村指定の天然記念物に6月7日指定されます。一方、県は同地域の化石採集から手を引くようになります。これは、発掘成果を村民の人たちに知ってもらう普及活動の結果だと思われます。

・地元に保管庫を郷土資料館づくりに

 地元で産出する化石が、郷土で大切に保管されねばならない。村民は、そのことを意識しだし、資料館づくりの基本的な資料に化石がなりえることもわかりだす。そんな雰囲気がではじめていたことは、前述(ぜんじつ)したとおりです。こんな客観的情勢(きゃっかんてきじょうせい)のなかで、地元主義の立場に変った地教委や公民館、文化財保護審議委員会が、「本村の貴重な文化財は地元に」の姿勢で活動することは、郷土資料館建設が決定していく段階で、大きな役割をはたしたのです。事実、資料


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