わたしたちの郷土 高郷村 - 043/094page
水道をひく仕事
村がいつのころからどのように水道の仕事をすすめてきたのかを調(しら)べてみると昭和29年、大谷部落(おおたにぶらく)にかんい水道を作ったのが最初(さいしょ)です。当時(とうじ)は自然(しぜん)のわき水を生活のために水として使っていましたが、生活のしかたが変(か)わるにつれて水の量(りょう)が足りなくなり、水道をひくことになりました。 その後、昭和34年に荻野(おぎの)かんい水道、昭和54年に本(ほん)村給水施設(そんきゅうすいしせつ)ができ、次々に他(ほか)の地区(ちく)にも水道がひかれるようになりました。
水道施設事業のあゆみと今後の計画
年 おもなことがら昭和二十九年
昭和三十四年
昭和五十四年
昭和五十七年
昭和五十九年
昭和六十年
平成元年
平成三年○大谷(おおたに)かんい水道ができた。
○萩野(おぎの)かんい水道ができた。
○本村(ほんそん)給水施設ができた。
○三方(みかた)給水施設ができた。
○地割(じわり)給水施設ができた。
○塔ノ窪(とうのくぼ)給水施設ができた。
○揚津(あがつ)かんい水道ができた。
○清水利田(しみずかがた)給水施設ができた。
○大芦(おおあし)給水施設ができた。
○高郷かんい水道ができた。平成三年
平成四年
平成五年
平成七年○一町新田(いっちょうしんでん)給水施設創設(そうせつ)
○早坂(はやさか)新田給水施設創設
○立岩(たていわ)新田給水施設創設
○黄(き)わだ給水施設創設
○滝下利田(たきしたかがた)給水施設創設水道を広げる計画 (けいかく)
村では、地形(ちけい)などとの関係(かんけい)で、1か所に大きな浄(じょう)水場(すいじょう)を作ることができません。そこで村内にはたくさんの施設が作られ、現在(げんざい)、4つのかんい水道と6つの給水施設があります。さらに、平成7年までには5つの給水施設が完成(かんせい)するように計画が立てられ、工事がすすめられています。
▼水道をひく工事