西会津町勢要覧 -004/022page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

ばんちゃのはなし 信仰の故郷

如法寺の観音様の中に・・・・

野沢の如法寺の鳥追観音さまの腹の中には、
もうひとり、小さな観音様がいるんだと。
なじょして入ったのがっつうど、
不思議なこともあるもんで……、
ばんちゃも、またそのばんちゃに聞いたはなしだから、
ずっーと、昔のごどだげんじょもな。

阿賀川

如法寺

◆ 阿賀川から飛び上がった観音さま

奈良の都の行基という和尚さまが、西会津を通りかかった時のことである。芹沼村まできたところで、雨が降ってきた。行きくれていたところを年寄りの夫婦に声を掛けられ、その晩は泊めてもらうことになった。親切なもてなしのお礼に、何か困ったことはないかと尋ねる行基に、老夫婦は「烏が田んぼの稲穂をついばんで困っている」と答えた。すると行基は、お守り袋から一寸八分ほどの観音様を出し、これを田んぼにお祀りして、鳥追いの鳴子のヒモを右手に結んでおきなさいと言って授けた。

それからは、観音様が烏を追い払ってくださるので、豊作に恵まれた老夫婦だったが、寄る年波で相次いで亡くなってしまった。供養してくれる人がいなくなった鳥追いの観音様は、自分の役目も終わったと、芹沼村のほとりの阿賀川に身を投じてしまわれた。今でもそこは、御身ヶ渕とか観音渕と呼ばれている。

それから七十年ほどたって、弘法大師がこの地を訪れた。ちょうど御身ヶ淵のあたりを過ぎようとした時、川の中から大師を呼ぶ声がする。足を止めると、一寸八分の観音様が水しぶきを上げて飛び上がり、大師の肩にのったという。観音様は、南の方に霊験あらたかな場所があるので、そこに私を祀りなさいと教えた。それが如法寺である。大師はこの寺に伝わる丈六の観音様のおなかに、鳥追いの観音様をお納めしたという。それが鳥追観音である。今では会津ころり三観音の一つとして、お参りの人が絶えず訪れている。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は西会津町に帰属します。
西会津町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。