西会津町勢要覧 -007/022page
ばんちゃのはなし 街道の歴史
◆ 宿駅として賑わった野沢
越後街道筋の宿駅として、町内には野沢、上野尻、白坂、宝川の四つがおかれた。特に 野沢の規模は大きく、参勤交代の大名が泊まる本陣や脇本陣のほか、いくつもの旅籠屋が軒を並べていた。ま た、寛永三年(一六二六)から毎月、三と八のつく日に市(六斎市)を立てることを許されて商いの町として賑わい、また鳥追観音と大山祗神社の門前町としても栄えた。十返舎一九が「三味せんの野沢の宿は旅人の袖をむせうにひいてとどめる」と詠んだ当時が偲ばれるのである。
【旧街道の豆ちしき】
◆ 一里塚
一里塚は江戸時代に、旅人の目印となるよう、一里(約4km)ごとに、街道の両側に塚を築き木を植えたもの。その木陰は格好の休み場所でもあった。西会津町には、5ヵ所設けられていたといわれるが、現在は諏訪神社の前の一つと、白坂・宝川間のものが名残をとどめるのみ。
◆ (クランク)型の大通り
野沢の大通りは (クランク)型にカ―ブしている所が二ヵ所ある。これは越後街道時代の名残であるが、その理由には二説ある。一つは敵が攻めてきた時に見通しを悪くするという説。もう一つは通りの中央を流れている用水路の水を分岐して田の方に流すために、この形にしたのだという説である。