わたしたちの郷土 西会津町 -068/122page

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(2)大水をふせぐ

大水のひがい

 わたしたちの町は,まわりの市町村と比べると土地が低く,川の水が集まりやすい地域です。そのため,大雨が続いて川があふれ,家や田畑にひ害を与えたことが何回かありました。

▲昭和31年黒沢地区をおそった大水
▲昭和31年黒沢地区をおそった大水

 1956年(昭和31年)7月に黒沢地区をおそった大水は,死者6名,行方不明者3名,こわれたり流されたりした家41戸など,大きなひ害を出しました。また,1967年(昭和42年)8月と1998年(平成1O年)7〜8月には,集中豪雨(しゅうちゅうごうう)で奥川がぞう水し,橋が流されたり家や学校が水びたしになったりしました。田畑が土しゃでうずまった所もあり,ひ害額(がく)はいずれも8億(おく)円をこしました。

当時,消防団員だった海老名昌之(えぴなまさし)さんの話
海老名昌之(えぴなまさし)さん  昭和31年7月1日から、ふリ始めた雨は,半月の間、ふりつづきました。道路は,ぷよぶよになっていました。消防の半しょうをならして,けいかいにあたりましたが,16目午後10時ごろ,家が流され出しました。私も他の消防団員とともにかけつけていましたが,身うごきがとれず,近くの知り合いの家で夜を明かしました。17日の午前2時までに次々と家が流されました。女の人で,「家が流される!!と言って,川にとびこんだ人もいます。家が流されたみんなは,上流の山ににげこみました。私は,山をこえて家に帰ったが,体が、ふるえてしかたなく,2・3日ねむれませんでした。

大水をふせぐ努カ

 大水のひ害にあった人たちは,協カ(きょうリよく)し合って,こわれた家や流された田畑を直しました。町でも,国や県のほ助を受けながら,こわれた橋や道路(ろ)を直すために努カ(どりょく)しました。

 ひ害にあった人たちや町はさらに,二度とひ害にあわないために,


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