わたしたちの郷土 西会津町 -109/122page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

西会津町の歩み(明治元年〜平成十年)
年号 西会津町のおもなできごと
1868(明治元年) ○会津宰相松平容保(まつだいらかたもり),越後口の戦いにそなえ,8月1目〜12目まで野沢に滞陣し,13日に帰城する。
○会津藩降伏する。
1870 ○野沢に警吏(警官)を置<。
1871 ○野沢に郵便局ができる。
1872 ○私塾(研幾堂(けんきどう))を開いた渡部思斎(しさい)の長男,渡部鼎(かなえ)が横浜高島英学校に学ぶ。
1873 ○吉田学校(宮城三九郎(さんくろう)宅)→奥川小学校創立,野沢小学校(渡部馨次(けいじ)宅)→野沢小学校創立,下野尻小学校(南光院)→群岡小学校創立,吉田分校(滑沢村正源寺),白坂小学校(佐藤尊清(そんせい)宅)ができる。
1874 ○笹川郵便局が平明にできる。
1875 ○群岡郵便局が下野尻にできる。
○70ヵ村が合併して22ヵ村になる。
○吉田小学校より分かれて,滑沢小学校となる。(新郷小学校創立)
1877 ○新郷小学校,三河,冨士分教場を開設する。
1878 ○英国女性イザベラ・バードが車峠の茶屋にとまり,風光をほめる。
○群岡小学校,徳沢分教場を開設する。
○野沢小学校安座分教場を開設する。
○野沢小学校より独立して,尾野本小学校となる。(尾野本小学校創立)
1880 ○山口千代作(ちよさく),県会議長となる。
1881 ○宮城三平(さんペい),高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)の足跡を調査する。
1882 ○小島忠八(こじまちゅうはち),山口千代作たちは,自由民権運動で活躍する。喜多方事件が起こる。
○石川暎作(えいさく),日本で初めてアダム・スミスの「国富論(こくふろん)」を翻訳し,雑誌に紹介をはじめる。

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は西会津町教育委員会に帰属します。
西会津町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。