あいづばんげ町勢要覧 -016/034page

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青木木綿

単調なはた織りの調べが、
あちこちの家から流れ続けてきた。

会津木綿といえは青木木綿といわれるほどに、青木地区産の木綿織は色、縞模様、風合いが見事である。
農家の作業着に欠かせなかった青木木綿は、今、会津を代表する民芸織物として蘇った。

青木木綿

機織り風景

 会津地方で生産される綿織物で、 会津坂下町産のものは青木木綿(青 木縞)と呼ばれている。青木付近は 昔から藍の栽培が盛んではた屋が軒 を並べていたという。

 江戸時代初期からの伝統があり、 藩主保科正之が綿花の栽培を奨励し たと伝えられている。そのため原料 の綿は、昔は、どの農家でも自家用 として栽培していた。明治に入ると 輸入綿花の登場で次第に自家用栽培 は減少し、大正初期に入ると綿栽培 は一時ほとんど姿を消した。

 その後、太平洋戦争が勃発し戦争 下での生活が長期化してくるにした がって衣料品は不足し再び綿の栽培 が始まった。終戦後も物不足の厳し い世相の折、綿の製糸とはた織はし ばらくの間つづ いた。

 製糸作業のひ とつに「綿切り」 といわれる作業 があった。摘ん できた綿の核と 繊維を分ける仕 事で、どこの家 でもおばあちゃ んの役割りだっ た。忙しい農家 の仕事の後にす るので、仕事は 夜わりまで続く ことも珍しくな く、「向いの山に 雪(綿)がふる、 手前の山にあら れ(種) ふる」 と歌い、睡気と戦いながら作業は続 けられた。

 一方、藍の栽培も古くから行われ、


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