あいづばんげ町勢要覧 -017/034page

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青木付近で本格的に栽培されるよう になったのは江戸時代の中期である。 この地帯は、会津地方の中でも指折 りの洪水常習地帯で、近くを流れる 鶴沼川、大川が氾濫し、農作物はいつ も損害をこうむっていた。藍は他の 農作物に比べ洪水にも強く、濁水を かぶっても大丈夫だったことから藍 の栽培が広く行われるようになった という。

 江戸時代、生産が始まった当時の 青木木綿は主に農家が自家用に織る ものが大半で、商品として市場で売 買されるようになるのは、紡績糸が 登場してからのことである。

 青木地区が会津木綿の中心になっ たのは、藍の栽培が盛んだったこと と、紺屋へ近隣町村の人々が糸染を 依頼に来ていたこと、前述のように 綿の栽培も早くから行われていたこ となどによると思われる。

 青木木綿の特徴は、すっきりとし た縞柄であろう。無地織もあるが大 半は縦縞か格子縞で、元来、普段着 や仕事着、夜具などに用いられてき たことから、太番手の綿糸でやや厚 地に織上げられている。

 古くは農家の冬期間の副業として はた織りは欠かせない存在だった。 「昔は冬も深まると、あちこちの家か らトンカラトンカラとはた織りの音 が聞こえたものです」。

 昭和三十年代中頃以降、農家の仕 事着としての需要が急減すると、青 木木綿を織る家 もめっきりと少 なくなり、昭和 初期に六軒あっ た機業場は次々 と姿を消して、 現在ではわずか 二軒を残すのみ になってしまっ ている。

 しかし今では 化学染料を使わ ない藍染めの美 しさと、昔なが らの素朴な風合 い、そしてすっ きりとした縞模 様が見直され、 会津地方を代表 する民芸織物と しての需要が伸 びてきている。

 素材はあくまで純綿を守りなが ら、縞柄に改良を加え、着尺地や洋 服地などの用途にも使われている。

 単調なはた織りの調べの中、縦糸 と横糸が織り成し生まれる縞模様 は、会津に生きる人々の心のように 素朴で、美しい。

紡績機

はた織り機

昔はあちこちの家からトンカラトンカラと
はた織りの音が聞こえてきたものです。

会津坂下に
生きる太陽たち


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