あいづばんげ町勢要覧 -020/034page
坂下で正月が来ると、すぐ大俵引き。
体が自然とそわそわします。直径二m、長さ三.四m、重さ三tの大俵が右へ左へ。引子の熱気と群集の歓声が交錯する。
江戸時代に生まれた勇壮なる奇祭は、町民たちの熱意で復活。今や町の新春の風物詩になっている。会津坂下町には只見川と阿賀川が 流れ込み、会津盆地の中でも屈指の 米どころである。米作の土地には五 穀豊穣を願う祭礼が伝わっているも のだが、ここでも米どころにふさわ しい奇祭が古くから行われている。
江戸時代に著された「新編会津風 土記」によると、「蒲生氏の時代、寛 永二年(1625)この地を町割り し、毎月六度の市日を定めた。毎年 正月十四日を初市とし、十五歳より 六十五歳までの農民が上下二組に分 かれ米俵を引き争い、勝負に従い米 価の高低を占った」とある。
明治維新前の坂下町は、上町、中 町、下町と町割されていた。初市は 旧暦の正月十四日に開かれ、大俵引 きは郷頭の屋敷(現在の役場地内) を中心に上と下 を分けて行った。 この大俵引きで 勝った側に翌年 の市(露店)を 立てるとり決め になっていたと いわれている。 当日の俵引きに 参加する引子た ちはふんどし一 本に素足という いでだちで、活 気に満ちた勇壮 なお祭りだった らしい。同じく 「新編会津風土 記」の中に、「是 は是国の旧俗に て府下大町より 以下所々あれども、此地の壮観に比 するものなければ来見るもの尤も多 し」と、往時の俵引きの模様が記述