あいづばんげ町勢要覧 -021/034page
されている。
大俵引きはその後、明治維新後に 起きた戊辰戦争を境に途絶え、毎年 の初市も露店のみの売り出しに変わ り、時代とともに徐々にすたれてし まった。
しかしその後、地元から大俵引き の復活を求める声が起こり、数々の 口承・文献などの調査、研究が行わ れた。それらに基づき、俵引き行事 の大概が解明され、ついに昭和三十 一年の初市から大俵引きが復活する ことになった。
復活した後の俵引き行事一切の運 営は、初市運営委員会の手によって 行われ、現在では往時の賑いをしの ぐほど盛んになったといわれ、町の 正月の恒例行事となり、季節の風物 詩になっている。
大俵は直径二メートル、長さ三.四メートル、 重さが三トンもあり、引子が引き合う 様はまさに勇壮そのもの。毎年正月 の十四日に、町役場前路上で、豪快 な大俵引きや福俵まきなどが繰り広 げられている。近隣からは多くの 人々が集まり、初市で賑わう路上は 群衆で埋め尽くされる。
「坂下で正月が来ると、すぐ大俵引 き。体がそわそわして、寒さも忘れ るくらいの熱気に包まれるんです。 俵引きの引子として参加すると、そ の年内は風邪をひかないといわれ、 毎年欠かさずに参加する壮者も多 い。引子のいでたちは下帯に白足袋、 赤か白の鉢巻。 行司となると神 衣をまとい手に は大軍配を持ち 大俵の上に乗っ て指揮・審判を 行う。
大俵引きはま ず引子が紅白に 分かれ、露店を 一周してから市 神に参拝する。 行司の挨拶、神 官によるみそぎ の儀式が行われ る。その後、紅 白に分れた引子 が、行司の合図 に従っていっせ いに互いに大俵 の大綱を激しく 引き合う。
大きな声を掛け合い、息も荒々し く体に湯気を立てながら争う光景は 熱気に満ちて、実に勇壮である。そ の熱気は周囲にいる見物客にも伝わ ってくる。厳寒の季節、坂下の人々 は大俵と歓声、そして熱気にあふれ た伝統の祭礼で新年を祝い合う。
引子として参加するとその年には風邪を
ひかないといわれ、毎年出る人も多いんです。会津坂下に
生きる太陽