小学校社会科学習資料 わたしたちのきょう土 会津坂下町 - 082/110page
5.私たちのきょう土につたわるねがい
人々は昔から,安全で豊(ゆた)かなくらしをしたいと願(ねが)っていました。あれ地を開いて田畑にしたり,用水路(ようすいろ)をつくって田畑をひろげました。しかし,会津地方は川が多く,洪水(こうずい)もたびたびおこりました。人々は長い間たいへんな苦労(くろう)をして,今日(きょう)の会津坂下町をきずきました。(1)町の発てんにつくした人びと
水害(すいがい)のれんぞくだった会津坂下町
昔の会津坂下町は,毎年のように水害に悩(なや)まされていました。1年の間に何回も洪水になることもありました。町の東側を大川が流れ,さらに大塩(おおしお)川・濁(にごり)川が合流して北側を流れ,宮(みや)川・鶴沼(つるぬま)川が合流(ごうりゅう)して阿賀(あが)川となります。これらの川が合流するところは,土砂(どしゃ)が積み重なって川底が高くなり,流れが悪くなるのです。また,川西地区などで川が袋(ふくろ)の形に曲がりくねっているところがありました。これらの場所が洪水の原いんとなっていました。
【会津坂下町のおもな水害の歴史】
1419年(応永(おうえい)26年) 洪水で大川が宮川に合流して鶴沼川となる。 1536年(天文(てんぶん)5年) 白ひげ洪水。塔寺(とうでら)・坂下間で水深2,4mとなる。 1611年(慶長(けいちょう)16年) 地震(じしん)による山くずれにより山崎(やまざき)新湖ができる。 1631年(寛永(かんえい)8年) 次郎水とよばれる洪水。山崎がまた湖となる。 白ひげ洪水より水位1m上がる。 1723年(享保(きょうほ)8年) 大洪水。坂下・塩川間に舟を通す。白ひげ洪水より水位1m上がる。 1956年(昭和(しょうわ)31年) 坂下・柳津(やないず)大水害。 1973年(昭和48年) 片門(かたかど)・柳津大水害。